この世界の片隅に

「この世界の片隅に」を観ました。

この世界の片隅に – Yahoo!映画

1.はじめに

みなさんは、毎日、明るく生活していますか?

わたしは、そうでもないかな。

ネガティブなんですよ。

このブログでいろいろ説教たれているのに。

あぁ、ポジティブになりたい。

人の性格って難しいものです。

今回は、ポジティブな女性が混乱の広島で生きていく物語“この世界の片隅に”です。

2.あらすじ(妄想スパイス入り)

1944年広島。

すずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。

しかし、その若者とは昔、出会っていた。

すずが、まだ幼かった頃。

「よう、姉ちゃん。ここら辺で遊べる所を知らねえか?」

と、声をかけてきた少年。

すず「そうねえ。あの公園のうんていが面白いわよ」

少年「ほう、うんていかい。それはお高いのかい?」

すず「タダよ」

少年「それはありがたい。ちょっくら行ってくるぜ。ありがとよ」

これが、すずと若者の出会いだった。

それから数年後。

まさか2人が結婚するとは。

運命ってわからないものですね。

3.感想

だめだ・・・。

涙が止まらない。

何だろう、この涙?

悲しいとも違う。

感動とも、ちょっと違う。

例えると・・・

日本人として生きてきて、背負っている歴史と記憶。

それをぐわっと掴まれて、揺さぶられた感じでした。

まず、観る前にはすごく重い物語なのだろうなと思っていました。

何てったって、原作はこうの史代さん。

名作『夕凪の街 桜の国』を描かれた方です。

テーマは同じく戦争中の広島を生きる人々。

当然、身構えますよね。

『この世界の片隅で』を観始めたら、まず流れてきた音楽は「悲しくてやりきれない」

好きな歌なのだけれど、その歌詞は・・・。

あぁ、絶対に打ちのめされると覚悟をしました。

しかし、予想に反して、戦争の足音を聞きながらも、広島でたくましく生きる家族が描かれていきます。

時にはユーモラスに。

意外でした。

でも、それはそうですよね。

戦争が行われていたとしても、みんな日常を送るわけですから。

ずっとしかめっ面をしているわけでもなく、冗談を言って笑ったりしているのです。

今のわたしたちと同じで、身近に起こる事に一喜一憂しているのですね。

主役のすず。

彼女が良い意味での天然で、その楽しい日常に拍車をかけてくれます。

しかし・・・

楽しいストーリーの端々に、戦争の匂いが描かれていきます。

初めは遠くにあった戦争が、だんだん近付いてくる感じ。

これが怖いのです。

そして、いくつかのエピソードが終るごとに挟まれる年月の表示。

わたしたちは、昭和20年8月6日に広島がどうなるか。

8月15日にどうなるか。

すべて知っているわけです。

この年月表示が、まるでカウントダウンのように、心を締め付けてくるのです。

あぁ、この楽しい家族はどうなってしまうのか・・・。

すずはどうなってしまうのか・・・。

これが辛かったです。

さて、登場人物に触れていきましょう。

まず、北條周作。

すずの夫です。

2人の出会いは子供の頃。

なんと、ばけもんのかごの中です。

すずが妹のすみに語った話はどこまで本当なのかわかりませんが、どうもこのばけもんがキューピッドだったのは本当らしい。

最後まで観ると、このばけもんは要一だったのかな・・・と思ってしまいますね。

周作はすずの事が忘れられず、なんと、見つけ出して嫁にするという強引さを見せます。

しかし、この行動が周作を苦しめる事になります。

「すずを強引に嫁にして、呉に連れてきて、苦しめているのではないか?」

この後ろめたさに付きまとわれるのです。

さらに、水原哲が現れます。

水原はすずの幼なじみ。

2人はお互いに好きだったのですね。

しかし、時代が2人を引き離してしまいました。

すずと水原の関係を見て、さらに周作は後ろめたさを深めていきます。

そして、嫉妬も。

これが、すずを水原のいる納谷へ無理矢理に行かせるという行動になるのですね。

周作は感情を表に出すのが苦手なのです。

すずは、周作と長くいることで、彼を愛していました。

それはそうだ。

周作、真面目でいい奴だもの。

水原の一件があり、周作は感情を表に出して、すずに全てをぶつけるようになるのですね。

水原もかわいそうでした。

時代に翻弄されてしまったのですね。

周作の姉、径子です。

モガとして若い頃を過ごし、恋愛結婚をしています。

彼女は、当時としては先進的な考え方を持っていたのですね。

だから、自己主張をしないで耐える女性であるすずにいら立ってしまうのでしょう。

晴美の一件があり、径子とすずの溝が深まります。

しかし、径子にとって必要な存在はすずでした。

自分にない物を持っている人ですから。

これは、すずにも言えます。

だから、2人がお互いに本当の気持ちを吐露してから、絆が深まったのですね。

白木リンです。

すずが迷子になった時に出会った女性。

彼女は遊郭に務めていました。

だから、良い香りがしていたのですね。

彼女は、すずがおばあちゃんの家で寝ていた時に現れた女の子でした。

あの、すいかをあげた子です。

彼女がどうして遊女になったのか。

それは、エンドロールで描かれます。

身寄りがない女性が生きていくために選んだ道だったのですね。

彼女も時代に翻弄されたのです。

最後に北條すず。

この物語は、悲劇をクライマックスにしています。

その悲劇まで、心が折れずにわたしたちが観られるのは、やはり彼女の魅力でしょう。

水原に普通と言われていましたが、いやいや・・・彼女は普通ではないですよ。

強いです。

その天然ぶりで、飄々と日常をこなしていく強さは、うらやましくもあります。

水原は海軍にいたので、日本が戦争でおかしくなっていると感じていたのでしょうね。

だから、昔の普通の自分に引き戻してくれるすずを『普通』と言っていたのでしょう。

水原が言った「お前だけは、最後までこの世界で普通でまともでおってくれ」

これは、すずさえ元気に生きていてくれれば、戦争が終わった後、自分は普通の世界に帰れるという意味だったのでしょう。

そして、すずの右手です。

彼女が自覚していたアイデンティティは、絵を描く事でした。

この右手があるから、世の中を明るく色彩豊かに見ることができたのです。

しかし、晴美と共に右手が無くなってしまいます。

彼女のアイデンティティが根こそぎ奪われてしまったのです。

さらに、家事も満足に出来なくなり、北條家にいるのもつらくなります。

そして迎えた8月6日。

帰る家が無くなってしまいます。

さらに、8月15日。

絶望が襲うのです。

右手が奪われ、晴美が奪われ、家族が奪われ、広島が奪われ、たくさんの命を奪われ・・・。

一体、これは何だったのか?

彼女は、アイデンティティである右手を奪われた事で心を保てず、知らず知らずのうちに、あらゆるものに憎しみを抱いていたのです。

それを救ってくれたのが、北條家の人々でした。

これからは、怯えないで生きていける。

食べられなかった白いご飯を炊き、明日からも生きていこうとする彼らを見たすず。

そして、頭に触れてきた右手。

これは、彼女の右手であり、アイデンティティが戻ってきた瞬間だったのです。

そして、右手は新たな出会いを呼び込みます。

原爆で母親を亡くした女の子。

すずの右手に母親の姿を重ねた彼女は、北條家で育てられる事になるのです。

晴美が着ていた洋服を取り出す径子。

彼女にとっても、新たな一歩になりました。

すずの声を演じたのん(能年玲奈)はすごかったですね。

すずの性格にぴったり当てはまっていました。

見事でした。

すごい映画に出会ったなぁ。

これはいろいろな人に勧めたいな。

特に若い子に。

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